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2024/06/24
顎関節症が悪化した。
整体に行き始めてから身体の歪みが戻ってきているのか、歪みを正常と認識している今の身体は色々なところが痛むようになってきた。痛みなくして得るものなしと言うが痛いものは痛く、顎関節症も悪化した。口が開かない。舞茸の天ぷらも薄いところから少しずつ食べる始末であり、今かき揚げ出されたら泣いちゃうかも。マックならハンバーガーはギリでダブルチーズバーガーは無理。ビッグマック?顎より先に胃が無理だ。扁桃腺も腫れてるし頭も痛いし鬱の症状は根強く残ってるし首から上が満身創痍、首から下はなんとか生きてる。蕎麦を少しずつ啜り、慎重にちくわ天を囓っている。QOLが下がりきっている。
啜れるなら最低限のQOLは保証されている、プルダックポックンミョンが食べれるから。大好き。最近のインスタントラーメンはなんかどんどん本格的になっていって、美味しい、美味しいんだけどこれはもうラーメンじゃん。インスタントラーメンとラーメンは別物だと思っていて、インスタントラーメン食べたい時とラーメン食べたい時は違う。インスタントラーメンは麺がぽそぽそで、具がなくて、そういうのが食べたい。ラーメン食べたい時はお店に行きます。ねぎとろおにぎりにも同じことを思ってる。ねぎとろおにぎりとお寿司のねぎとろは違う、別物。昔コンビニのねぎとろおにぎりのクオリティが格段に上がった時があって、その時も「美味しいけどこれじゃないな…」って思った。お寿司のねぎとろは赤っぽいピンク色、おにぎりのねぎとろは白っぽいピンク色。
夏が来たなーってぼんやり思う、なるべく直視しないように、視界の端に夏を追いやっても夏は夏、向こうから勝手にやってきます、呼んでもないのに。見習いたい。呼ばれても行くの躊躇しちゃうもんね、こっちは。
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2024/06/20
そうそう無気力だ、それだ、と無気力という文字列を見て気付いた。最近の自分を表す言葉としてぴったりだ、最悪のアハ体験。これでも脳は活性化してるんだろうか。
感情が減っている、感情が無いって書くとなんかあれだから、ちょっとなんかあれだから、ただ実感としてうれしいとか楽しいとか感じることはなくなってきていて、大好きもないからドリカムに全く共感できなくなっている。共感できていた時は無いけど。元々感情を表に出すタイプではないし、出さないっていうか出せなかっただけなんだけど、周りから見たら別に前と変わらないんじゃないか。住民税を払わないといけない。
こうやって何か書くのは感情表現の練習、自分が今どう思ってどう感じているか書いて整理してみましょう、ね、みたいな意識だけど元からある感情が暗ければアウトプットも暗くなるよねという話です。乗り換え。大きい蛾が死んでいる。
会社から健康診断の案内が来てたな、予約しないと、もう1ヶ月くらい経ってるけど、この分だと受けないな、受けた方がいいね、わかるー、わかってます。受けない。誰が無理やり連れてってほしい。嫌いじゃないんだけどな、健康診断、そこまで行くのが面倒なだけで。去年も受けてないし、今年受けないと2年受けないことになる、2年、何も変わってない気がするな、良くも悪くも。悪くも。悪くも。各駅停車でドアから流れ込む湿った空気。
何でも人生に例えるのよくないですよ。どこにいても余所者感を味わえる。何もしないことと、何もしないことを選択することに不安と焦りがある。最寄りの隣の駅。
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2024/06/17
気力も体力も枯渇しているところに追い打ちをかけるように暑くなった。夏が来るらしい。興味ないから知らんけど。夏が年々嫌いになっていく。子供の頃から別に好きじゃなかった季節は歳を取るにつれて耐え難い季節になり、夏を称賛する言葉の全てに共感できないまま存在感を消してじっとやり過ごす。ビールは1年中美味いだろうし、素麺は煮麺にして食べてください。
そもそも季節が好きって正直あんまりわからない。夏は嫌い、冬はそれよりかは嫌いじゃない、春と秋に特に感情はない、と思っている。春も秋も、冬と夏が終わった安堵感が大半な気がするし、1年中春と秋なら別に好きじゃないと思う。地球のマッチポンプ。
整体にも通っているがフォトフェイシャルにも通っている。どうなりたいんだ私は。少しだけまともな人間になりたい。
上野のクリニックに18時半、なのに他の予定があって3時間前に上野に放り出されてしまった。今考えたら他の街にいればよかっただけなんだけどその時の私は律儀にも上野で3時間を過ごす選択をして、美術館エリアからは離れているし、フォトフェイシャル前にアルコールを飲むわけにもいかないし、美術館と飲み屋を除いたら私には縁のない街なんだなと思った。こんなに混んでたっけ。みんな何してるんだろ。楽しそうな人ばかり目につく。妖怪になれたら上野って楽しいんだろうか、なんとなく、時折、妖怪になりたい欲が出る。自分なり遁世の形なんだろうか。妖怪になったらまた来ます。あと1ヶ月後にもまた来ます。
一人乗り用の幅の狭いエスカレーターが好き、電車は6分遅れているらしい、窓から知らない人が暮らす知らない街が見える、と、私が知らない世界(知らなくてもいい世界)は広いんだなと思う。
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2024/06/10
整体に通っている。決して安くない回数券も買って二回通ってわかったのは自分の身体がぐちゃぐちゃだということだけで、これが元通り真っすぐになるのかはわからない。わからないままに色々な箇所を押されている。(例え身体が真っすぐになったところでそれ以外何も変わらない)
二回目に担当してくれた施術者は身体の歪みから推測したことを当ててくる、正確には当てたいタイプの人だったのだが、正答率が半分程度だったのでいまいち信用しきれなかった。首の歪みから右目だけ乱視、左目は近視ということを当ててきた時は驚いたし、右足を上にして足を組むことも当ててきた。ただ後半にかけてテニスやってた? 寝るとき左側を下にして寝ている、などを外し続けて終わった。もう極力黙っててほしい。
上手くない日々を過ごしている、上手くないね、これまでの経験から何かを考えて生きていけば結局悪い想像に押されて何もできなくなってしまうということはわかっているから何も考えずに能天気に生きていくのがいいんだけど生きていくには、生活には、関係を続けるには色々なことを考えないといけないわけで、なんか、生きるの難しい、もしくは難しい生き方を選択してるか、高望みしたか。
何もする気が起きない上に何かを考える気力もなくて、やらなきゃいけないと認識したことだけできるだけ頭を使わずにこなしているがそれもできないことがある、一日がとりあえず終わってくれないかなと毎日思ってる。冷凍食品をレンジにかける時に表示から30秒余分に温めて中身が少し固くなったりしている。座れる場所を探したりしている。
街って情報が多い、インターネットも情報が多い、情報が少ないところには耐えられない、温泉旅館のロビーの片隅にある地元の観光スポットのパンフレットが集まっているコーナー、ぐらいの、あのコーナーには未来しかない、ね。
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2024/05/06
柔道の初心者が有段者と向き合うと一瞬で視点が地面になるらしい、というのを、一瞬で視点が地面になった時に思い出した。娘と一緒に公園に行き、強風の中スケートボードをしたら身体が風に煽られて派手に転んだから。車輪って良く転がる、人類の叡智、とは思わなかった。右手首が尋常じゃなく痛かったから。痛みだけがリアルだとは思わないけれども、少なくとも痛みはリアルだ、痛いもん、スマホも持てないし。幸いキーボードを打つことはできるから、仕事は問題なさそう。身体の動作としてはキーボードが打てて喋れればできる仕事をしています。
ここ最近は比較的健やかに過ごしている、健やかなのかは本当はわからないけれども前に比べればマシ、治るものでもないし、性質のようなものだからこれでいいとも思うけれども言い訳にしている気もする。人生において元気だった時があるのかしら、無い気もする、前に戻りたいと思っても戻れる前は無いのです、思わないし、前、前はどうだったっけとぼんやり考えている数日、死にたいと思ったことは無いのかもしれない一度も、これまでに、というより死んだことが無いから、死を欲することが良くわからない。カレー食べたこと無かったらカレー食べたいと思わないのと一緒でさ、ただもう生きたくないなと思ったことはある。生きてたことはあるからそれを拒否することはできる、だから本当は死をイメージすることはできていなくて、ただ生を諦めた結果として死があるだけなんだと思う、私の中では。ということを考えていて、これがゴールデンウィークだって言うんだから信じられない、休日を無駄にしている、休日くらい無駄にさせろ、無駄にできるくらいの休日を与えてみなさいよ、私には休日を無駄にする覚悟がある。
左耳の軟骨のピアスは安定したようで輪っかのやつに変えてみたら駄目だった。どうやら耳の上のひだ、ひだっていうのこれ、ひだにしては固くない? の部分が大きいらしく、輪っかが小さくて合ってないみたいで、あれやこれやのリングピアスを試しているものの未だに合うものは見つかっていない、ネットで買うから、ちゃんとお店に行きましょうね、諸々、ピアス探しに行きたいしついでにあと2つくらい空けたいし、タトゥーも入れたいし、スカジャンも欲しいし、美術館も巡りたいし、もう人のために何かしたくない。誰かを想像して何かをすることをもうしたくない、自分がなんとなくしたいことを全部したい。なんとなくしたくないことを全部しないのはもうずっとやってきたから、なんとなくしたいことを全部する、そのための時間と活力とお金を作る、ことを目標にします、目標はいつ立ててもいいし期限も好きにすればいいので、今立てました。
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2023/12/26
また今年も明るくなれなかった。暗いことに才能がある。
日記を書いていないことには早々に気づいていて、でもこのまま何か書きたいことが出てくるまで放置しようと決めた。結果特に書きたいことは出てこずに年末を迎えている。
日記にしろ、会話にしろ、日々何を考えて、どういう出来事があって、どう思ったかというアウトプットをほとんどしていない。アウトプットは生まれつきできる人もいるかもしれないし、できない人はいる、ここに。アウトプットをしようと思わないと、何もなく日々が過ぎていく。
それでも仕事をしていなかった期間は一日中何かを考えて、どう思うかを考えて、それをアウトプットすることができていたけれども、仕事を始めてからは、それほど大変な仕事ではないけれども、それでも8時間、9時間を仕事に捧げると、何かを考える余裕は残っていない、色々なことに思うところはあっても、深く考えたりまとめたりする余裕がない、頭に、頭の体力が無い。Youtube shortを永遠に見て終わる。つらい記憶にはテトリスをやるといいという話があったけど、同じことなのかもしれない、頭を使いたくない。
来年こそは、とは思わないけれども、ずっと健やかになりたいとは思っている。それがどういう状態かは具体的にわからないけれど。健やかですか? みなさん。私は暗いことに才能があります。
また明日とか、よろしくお願いしますとか、もう心から思って言うことは無いけれど、良いお年を、という時だけはまだ心から思っている。誰しもに良いお年が来てほしい。それくらい思えるくらいの心はまだ残っています。本当に、良いお年を。
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2023/11/22
やりたいこといっぱいある。
すぐに忘れてしまうから大事にしてあげたい。寝台列車に乗ってみたい。
きれいな川で水切りをしてみたい。
台湾を一周してみたい。
ダリの作品を見に行きたい。これはこの前やった。
かっこいいスカジャンが欲しい。
いつかパレードをしてみたい。
パレード。
縁遠い。パレードという言葉。
ぼんやりとしたイメージはディズニーランドのパレード、あまりテーマパークには行かないのだけど、ディズニーランドで見たパレードは綺麗だった。光り輝いていて、みんな笑顔で、楽しそうだった。別世界みたいで。別世界。自分とは別の世界。
パレードってなんだろ。
パレード(parade)とは、祭事や祝い事・イベント時等に、見物人に見せるために屋外を行列で進むこと、またはその行列のことである。
サンキューウィキペディア。また今度寄付するね。
別世界だと思うし、事実別世界です。大人数で祝うことも祝われることもないし、そもそも大人数ではない。友達も少ないし、人付き合いもしないし。それでも憧れたのはなんだろう、なんでパレードをしたいんだろうと思うが、ないものねだりなのかもしれない。一番私に欠けているものの象徴、が、パレードなのかもしれない。共感と繋がり。大事なところが欠けてるな。くそう。厳しい。
でも結局ないものねだりをしていくんだろうと何となく思っている。みんなそうじゃない? 主語が大きいな。えっと、えー、何人かの人はそうしていくんじゃない? だってあるものを守ることと無いものを望むことしかないんだから、人生ってそうでしょう? 主語が大きい。
だからいつかパレードをしてみたい。いつかパレードをできる日が来たら、きっと今よりも、今よりも? たぶん全然別の人間に、パレードできる自分は今と連続性が無い、想像できない、でも子供の頃に今の自分が想像できたかって言われればそれも違うし、想像できない自分になれるかもしれない、そしたらパレードしよう。それまでは一人で、行列でもないし、光り輝いてもいない、誰も見てない道を歩いていきます。
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2023/11/08
漫画とかフィクションの世界でさ、他人に興味ないってキャラクターが出てくることがある。あれなんで他人に興味ないのに周りに人いるの? 友達とかいない? なんで? 他人に興味ないのに?
書きたくないなー、書きたくない、他人に興味無いって話をさ。じゃあ書かなきゃいいじゃん、そう、その通り、正論、なんだ? 正論大好きか? 書きたくないことも書いてみないと、自分が考えたいことだけ考えてると何も変わりませんよ、これも正論。
他人に興味無いんだなと思う、自分、でも他人に興味ないんです、という一般的なイメージではないと思う、自分。
フィクションの世界の他人に興味が無い人って、もう遠巻きに見ても人に興味がなくて、人を遠ざけるような、なにか話しかけても興味ないんですって、そんなイメージ。でも私は違う。なにかあれば話すし、周りの人に幸せなことがあればよかったねと思うし、悲しいことがあれば悲しいねと思う。人に興味ないわけじゃない。でもそれだけ。それ以上ない。
他人が何を考えて何を感じているかみたいな、それ以上深いところに踏み込まないし、興味がない。だから浅い付き合いはあっても深い付き合いはない。友人みたいな存在はほぼいない。
友人いない! やばい! みたいなことではなく、そんな時期はとうに過ぎ、それはもうしょうがない、人はそんなにすぐには変われないし。興味がないものに興味を持つ、というのは、自分でどうにかすることも、他人がどうにかすることも本当に難しい。家庭でも社会でも、何らかを教える立場になればわかることです。本当に難しい。
だからもう、しょうがない、このままで、でもどうしてこうなったんだろうっていうのは、気にはなっている。思い返してみてもずっとこの性質は変わっていない、幼い頃だってそうだった。でもみんな幼い頃はそうなのかな、どこかで他人に興味を持つっていうことを学ぶ機会があるのかな、そうしたらもしかしたら、今からでも学べるのかもしれないっていう気持ちはどこかにありつつも、やっぱりこの性質は、他人に興味を持たないまま、この先もこのままなんだろうなと思っている。バナナを食べながら。バナナを食べながら思っています。バナナにもそんなに興味が無いです。
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2023/11/05
こんにちは、そちらはどうですか。
こちらは何となく、全てが何とかなっています。懸念していた労働への復帰はハードルを下げまくったこともあって順調に仕事をこなしており、周囲の期待に応えられている実感と私にもできそうなことがこの先もありそうという安心感を得ています。
そして仕事をこなしながら頭の中は仕事のことを考えることが多くなり、働いていなかった時間に考えていた色々なこと、主に自分についてのことは、少しずつ薄くなっているのを感じます。
このまま色んな悩んでいた、もやもやとしていたことが薄くなっていって全てが大丈夫になるかといえばそんなことはなく、悩んでいたことに仕事や生活のあれこれが薄い膜のように覆いかぶさっていて、それでも確かにまだいる、なくならない、考える余裕がなくなっているだけでそのものはなくなっていない。前と同じ、前と同じなんです。ということはたどり着く結末も、恐らく前と同じ。いずれ同じことになる。時限爆弾のような、爆発しないうちは、爆発しないうちに、どうにかしないといけない。
別に仕事とそれ以外が直接関係しているわけではなくて、仕事は仕事で割り切ればいいだけの話なんだけど、仕事をしていると期待されるし、自分が考えたらもっと良くなりそうなことも見えるし、そうした時に期待に応えないとか、考えないということを無意識的に避ける、当たり前のようにそれをやる。これがいけない。このせいで他の余裕が無くなってくる。期待されたことに応えるだけの存在になっていくのをやめないといけない。結局それが続かない以上、期待にも応えられていないのだ。期待値の調整なんてずっと続けてハードルを下げてきたつもりだけど、それでも足りなかった、自分は自分が思っているよりも、それほどできる、瞬発力ではなく持続力の面で、とても力が無い。瞬発力も無かったらいいんだけどね、瞬間で力が発揮できちゃうと次も期待するからね、厄介だね。
期待されないことをしないといけない、他人に委ねてはいけない、書いてみて思ったけどたぶん承認欲求が強い、自分の何かを満たすのに他人を使ってはいけない、自分がやって自分が満足できることを探さないといけない、それはなんか、子どもの頃はできていた気がする、自分だけが満足して、幸せに一日を終えていた気がする、別に何をしていたわけじゃないけど、知らない道を進んでどこに繋がっているか確認して、それで満足していたような、そんなことがどんどん、少なくなっている。今自分が何をしてあげれば満足するのか、全然わからない。
試行錯誤しているとは思う、無意識に。メイクもファッションも、ここで文章を書いているのだって、期待されないからやってる、だから趣味って言えると、そう言い聞かせているし、自己満足ができればそれでいいと、思うんだけど私みたいなタイプにSNSって毒なのかもしれないね、あまりいいものではないのかもしれない、辞めないと思うけど、今ももしかしたら、適切な距離感ではないのかもしれない、他人の存在って大きいんだと思うし、取り留めもなく書いてみて思ったのは、今きっと、私の中の色んな認知は、相当に歪んでいるんじゃないかなということです。でした。
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2023/10/24
ぼんやり思ってる二本。
メンタルは結構回復してきたなという実感はあるもののまだ不安定で、突発的に泣いたり叫びたくなったりすることはある。泣いても叫んでも状況なんて変わらないんだけど、実際泣いたり叫んだりすることで気が楽になることもある、あるのです。
ただ本当にメンタルが沈んでいた時は泣きたいとか叫びたいと感じる前に泣いたり叫んだりしてた、できていたんだけど、ちょっと回復してからは涙が出る前に泣きたいと感じて泣くような、少し順番が入れ替わって、最近では泣きたいと感じて、でも泣いてもどうにもならんしなと思って、それでも泣いたら少し楽になるかもしれないと思って、泣く、みたいな、だいぶステップが増えてきて、そうすると泣いても何も楽にならないのです。不思議。
たぶん一回ブレーキかけちゃった後、理性が先に出た後だからだと思う。これは本当に回復してきたんだろうなと思う反面、これ結局積み重ねたらまた同じように追い込まれていかないだろうかという、感情の発露が元々下手なんだと思うけど、あー、どうしたらいいんでしょうね、泣いて楽になるけど実際に周りから見たらいきなり泣き出されても困るでしょう、逆だったら困るよ、私は。どうにか上手い感情の発露を、逃げ道を作ってあげないと、歌う? いきなり歌い出されても困るでしょう、逆だったら困るよ、私は。
何かに熱中したこととか、本当に好きになったことがないかもしれない。
誰かのファンですとか、趣味でこういうことをしていますとかが私にはなくて、たぶんのめり込むタイプでもないんだろうし、凝り性とかでもないし。
振り返ってみたって子どもの頃から読書は好きだし、ゲームもやってるけど、どうにもそれが好きかっていうと、なんだか時間を潰すとか、何かからの逃避行動の一環な気がして、学校嫌いだったからなぁ、皆勤賞だったけど。本当に暇な時に自然に読書したりゲームしたりにならなくて、してもすぐに止めてしまうことが多い。何かのストレスがある時はずっとしてる。
人生短い中で何かを残さないととか全然思わないし、というか三千年生きるから別に短くないんだけど、かといって有限の時間をぼんやり浪費するっていうのに焦りが無いわけでもない。でも焦って何かをやることって別に好きなことにはならないじゃん。でもだらだらし続けることも違うよねー、何が違うんでしょうね、正解ってなんでしょうね。
今の状態が違うから、間違ってるから何かをするんじゃなくて、本当にそれがやりたいからそれをやるっていう状態になりたいんだけど、ここまで書いてこれ結構幼い悩みなんじゃないかと思い始めてきた、どうなんだろ、定年過ぎてこういう状態になる人もいるっていうし、少なく見積もっても定年後が2900年あるんだけど何して過ごそうか、でも2900年あるって考えたらちょっと楽しい。なんでもできそうな気がする。何しよう。