2…2$
感覚と打とうとしたら数字入力になっていたのでそのまま残しました、勘で商品の価格を決めているアメリカ人の店員みたい、感覚、感覚が鈍い話で、鬱はまだまだ続いていて薬でだいぶ良くなっている、はず、たぶん、そのはず、少なくとも絶望的な気分になることは減った、減ったんだけど小さくなった波はまだある、この小さい波がよくわからなくて、どうにも気分が乗らない、パソコンの前に座っても仕事をする気力が出てこない、腕が上がらなくてキーボードに手を置くことが困難、これが鬱なのか甘えなのか、自分でよくわからない、脳に電極繋いでもいいから鬱と甘えの自動判定の機械が欲しい、誰かに判断してほしい、本当は鬱なんかじゃなくて全部、全部自分が甘えてるだけなんじゃないかという不安があります。あと余った栗きんとんもあります。生クリームかけて食べるとほぼモンブランになるのでおすすめです。
床に横になっていると、横になっています、今、毛布を被って、毛布に守ってもらっている、何から、世界、壮大すぎるな、社会、社会から守るための道具、毛布、私が生きづらい社会、こんな社会に誰がした、誰がってわけじゃないんだろうね、みんなが少しずつ良くなるように頑張った結果がこれなんだろうね、人間って社会を作るには少し頭が足りないのかもしれない、もっと社会から外れて生きるべきだったのかもしれないと思うし、でも今辛うじてやれてるのは社会の中で恐らく外れずに生きてきたおかげだとも思うし、過去の自分にもっと社会から外れて生きろと言ったって何だこいつウゼー、としか思わないでしょうね、社会も過去も別に悪くない、ただそこでやっていく力が無かっただけ、だと思う、でもちょっとは、社会の方から歩み寄ってくれてもいいのにさ、ベーシックインカムがあったらもう少し、自分に余裕をあげられたとも思うし、無理してるのか、無理してるんだな今、書きながら思う、全部そうだけど、全部書きながら思ってそれを書いてる、刹那的なブログを書いている。
本を読む期間になった、年に2回本を読める期間が来る、バイオリズム的なものでその期間は暇さえあれば何かを読んでるし、それ以外の期間は積読を更に高くしています、読みたい気持ちはずっとあるから気になれば買うんだけど読む、文章を理解する、著者のリズムに乗って進めていく、みたいなことができるのはその期間だけ、数年前からそうなってしまった、昔は一年中ずっと何かを読んでいたのに、それでもまだ読めるタイミングが残されたのはラッキーだったと思う、全く読めなくなったら悲しいもんね、本読むの楽しいからさ。
初詣で何もお願いしなかったのは、自分でどうにかするという気持ちの表れか、それとももう、何にも期待できなくなった表れか、わからないですね、大抵のことは何もわかりません、わからないまま雰囲気でやっています、全部。