1月の4日、夜、長い正月休みも結末が迫るこの時間に、このままではまずいのではないかと思いながらこれを書いています、具体的にはこの腑抜けた状態では仕事に復帰できないのではと思い、せめて机に向かいキーボードを打つというリハビリをした方がいいと思いながら自室の寒さに挫けリビングで日本酒を飲みながらスマホをポチポチしています、腑抜けた、腑抜けてはいない、これが正常、休みとは人間が正常に戻る日、他は人間が異常行動をする日、高い蒲鉾は美味しいな、異常行動できるようにならないと、毎朝きちんと起きてパソコンに向かい価値があるのか無いのかというお仕事をして疲れ果てて1日が終わるルーティンをちゃんとできるようにならないと立派な社会人ではないのか? どうなのか? 高い蒲鉾は美味しい、日本酒も美味しい、立派な社会人にはなれなかった、休みが似合う、私には休みが似合う、私が自由にくつろいでいるだけで価値がある、それは私がすり減りながら仕事をして生み出す価値よりも、そのはずで、どうしてか世界にはそれがわからないみたい。
正月、数字が1つ増えることに何の感慨もない、連続した日々、初なものなど何もないのだ、ということを思うことは思う、言わない、数字が1つ増えることに付随した連続した休暇、家族との時間、世間の浮かれた空気を全て否定することになってしまうから、甘んじて数字を1つ増やしにっこり笑顔で堕落する、許された堕落、期限付き。
嫌いじゃない、正月の空気も何もかも、冬だしね、冬は好きだよ、鬱屈としてさ、それが許される気がする、それに比べて夏はどうだ、夏には夏の鬱屈があります、でも、冬は何かこう、季節が他人事、冬って他人に興味無いと思う、冬は冬、他人は他人、私は私、落ち着く、夏は押し付けがましい、LINEブロックしようかな、スタンプウザいし。
いつか元気にやれる時まで耐えるという思いと、今やれよ甘えてんなよという思いはまだまだ闘っています、どうせ闘ったところで身体は動かないもんなので闘うことすら不毛のはずなのに闘いは続きます、何かのメタファーでしょうか、いいえメタファーではありません、何でもかんでも裏を読むんじゃない、こっちは言葉のドッジボールをやってるんだ、球を取らないで斜に構えるんじゃない外野の坊やがよ、そんな見えない敵に怒っても何も変わらず、ぼんやりとそんなことを思いながら日々を過ごしています、皆様お変わりないですか?
しばらく見ない間に心の中の小さな村が消えていました、これもメタファーではありません。