ぼんやり思ってる二本。
メンタルは結構回復してきたなという実感はあるもののまだ不安定で、突発的に泣いたり叫びたくなったりすることはある。泣いても叫んでも状況なんて変わらないんだけど、実際泣いたり叫んだりすることで気が楽になることもある、あるのです。
ただ本当にメンタルが沈んでいた時は泣きたいとか叫びたいと感じる前に泣いたり叫んだりしてた、できていたんだけど、ちょっと回復してからは涙が出る前に泣きたいと感じて泣くような、少し順番が入れ替わって、最近では泣きたいと感じて、でも泣いてもどうにもならんしなと思って、それでも泣いたら少し楽になるかもしれないと思って、泣く、みたいな、だいぶステップが増えてきて、そうすると泣いても何も楽にならないのです。不思議。
たぶん一回ブレーキかけちゃった後、理性が先に出た後だからだと思う。これは本当に回復してきたんだろうなと思う反面、これ結局積み重ねたらまた同じように追い込まれていかないだろうかという、感情の発露が元々下手なんだと思うけど、あー、どうしたらいいんでしょうね、泣いて楽になるけど実際に周りから見たらいきなり泣き出されても困るでしょう、逆だったら困るよ、私は。どうにか上手い感情の発露を、逃げ道を作ってあげないと、歌う? いきなり歌い出されても困るでしょう、逆だったら困るよ、私は。
何かに熱中したこととか、本当に好きになったことがないかもしれない。
誰かのファンですとか、趣味でこういうことをしていますとかが私にはなくて、たぶんのめり込むタイプでもないんだろうし、凝り性とかでもないし。
振り返ってみたって子どもの頃から読書は好きだし、ゲームもやってるけど、どうにもそれが好きかっていうと、なんだか時間を潰すとか、何かからの逃避行動の一環な気がして、学校嫌いだったからなぁ、皆勤賞だったけど。本当に暇な時に自然に読書したりゲームしたりにならなくて、してもすぐに止めてしまうことが多い。何かのストレスがある時はずっとしてる。
人生短い中で何かを残さないととか全然思わないし、というか三千年生きるから別に短くないんだけど、かといって有限の時間をぼんやり浪費するっていうのに焦りが無いわけでもない。でも焦って何かをやることって別に好きなことにはならないじゃん。でもだらだらし続けることも違うよねー、何が違うんでしょうね、正解ってなんでしょうね。
今の状態が違うから、間違ってるから何かをするんじゃなくて、本当にそれがやりたいからそれをやるっていう状態になりたいんだけど、ここまで書いてこれ結構幼い悩みなんじゃないかと思い始めてきた、どうなんだろ、定年過ぎてこういう状態になる人もいるっていうし、少なく見積もっても定年後が2900年あるんだけど何して過ごそうか、でも2900年あるって考えたらちょっと楽しい。なんでもできそうな気がする。何しよう。