なんだかんだ無職生活も板につき、日々を悠々と過ごしているがこんな日々が永遠に続くわけなどない。社会はそれを許さない。厳しい。来週からは一応社会復帰、まともなふりをして会社員として日々を過ごす生活に逆戻り。厳しい。
4ヶ月の無職生活は普通に社会人をしていると発生しないボーナスステージであり、この先こんな長い時間は私に訪れない。定年まで。たぶん。どうかなー。40過ぎてからの無職はまた一味違うらしいのよね。ぜひ味わいたい。
モラトリアムの終わり、妻は台湾でも行ってくれば、こんな機会もないしと言ってくれたが、それは断って、というかこんな機会もないしと言ってヨーロッパ行ったし。遠い昔に思える。ただ一つだけわがままを言って、私は今、福島に向かっている。
諸橋近代美術館。
猪苗代の山中にある、ダリの作品の収蔵数としては世界でもトップクラスの美術館であり、17年前、私はそこを訪れている。
昔話をします。
17年前、私は入った大学に馴染めず、1年で退学しました。通ったのは夏休みまでの3ヶ月だけ、後は籍だけ残して行かなかった。大学を中退した私のステータスは無職、奇遇だね、今と一緒だ、穀をぷちぷちと潰すだけの存在を社会は許さない。私は周囲より一足先に社会人となった。
入った会社は古い小さな会社で、その会社において若者、特に10代なんてURクラスのレア度であり、それはそれは手厚い研修を定年間近の部長から受けたのだが、その一環で福島にある取引先工場の視察、及び運営する宿泊施設の視察があった。まだ免許を持っていなかった私は、郡山から部長の運転するマツダのスポーツカーで連れ回されることとなるのだが、雨の東北道を爆走する車内では必然的に死がちらついた。今思えばあれも研修の一環だったのだろう。命の教育。
その研修の合間に連れて行かれたのが、諸橋近代美術館だった。千葉の片田舎の若者に文化的な教養など全くなく、美術館に行ったのはあれが初めてだったと思うけれど、初めてがダリというのは振り返ってみればなかなか強烈な入口だと思う。
再び2023年の現代。
あの強烈な入口はそれからずっと、私の心に残っている。なにかわからないが、私はあの時、すごいものを見たという印象だけを覚えている。作品名も何も思い出せない、それでもあれを超える体験は、結局無かったと思う。
それでよかった。心に残っているという感覚で満足していたが、最近になって施設や店舗というのは、自分が思うよりも簡単に、消えていくものだという実感が出てきた。美術館だって、美術品は無くならないかもしれないが、その施設は思うよりもあっさりと、消えていくことがある。なにより諸橋近代美術館は私営の美術館であり、永続的に存在するかはわからない。だから今、再び訪れることにした。5時間かけて。遠い。美術館行くのに5時間は遠い。旅行のついでの美術館ではなく、美術館モクの5時間である。機会があれば訪れたいとは思っていたが機会はなく、この5時間が結局再訪の大きな障害となっていたのです。

あの日と同じ、山の中にぽつんとある、本当にぽつんと、本当に山の中。本当に。最寄り駅からタクシーで五千円かかったから。マジかよ。三千円超えたあたりで歩くか?とも思ったけど周りの風景が熊と親和性が高かったのでやめた。
17年前とさすがに展示は変わってる、と、思う。たぶん。でもイメージ通りだった。イメージと違ったのは、私だった。
着くまでは遠い遠いとは思っていたけれど、展示を見た後では、別に半日あれば着く距離に何を渋っていたんだろうと思っている。定期的に来るべきだった、自分がこの作品群を見て何を思い何を感じるのかを、定期的に確認するべきだった。
なんか高尚な感じがあるが、私はアートについては鑑賞することは好きであるものの知識はさっぱりで、このように固執するのもダリだけです。他の作家や作品はよくわからない。ただダリの作品だけはなぜか、処理できない感情があるというか、近いのはキュートアグレッション、作品の中に入り込みたいような、そんな感情を抱く、ので、たぶん好きなんだと思う。キュートアグレッションについては各々眼の前のハイテク機器で調べてください。その大好きな薄い板でさあ!
上手く言語化できなかったし、これからもできない気はするけど、ちゃんと「私が一番好きな芸術家はダリです」と言えると思う、今なら。なんとなく、そのためにここまで来たんだなと思える旅だった。だったじゃない。終わってない。今から1時間半バスに乗って郡山に向かいます。そのバスを待つ停留所で、これを書いています。やっぱり遠いんだよな。でもまた来れる。今日来れたから。