2023/10/06

歩く。涼しくなったから歩く。ずんずん。

外に出る用事も無いから、歩くために外に出る。外に出て歩く。歩いている時にイヤホンはしない。危ないしね。あとこの生活になって音楽を聴く習慣がなくなってしまった。これは悲しいね。家で音楽を聴く習慣がそもそも無かったから、貴重な通勤が無くなって音楽を聴かなくなってしまった。だから歩いている時は特に何も聴かず、雑踏でもない平日昼間の道では耳に入る意味のある音は何もない。必然的に頭の中に意識が向いてくる。あれ、これ前回と同じパターンじゃない? 今日頭の中にあったのは、「お前、これからどうするの?」という問いだった。お前って言わないで。


川沿いに腰を下ろす。真上には首都高。東京っぽくないけど東京の景色だなと思う。

これからどうするもこうするもない、頑張って毎日を生きていきましょう死ぬまでね、と綺麗な10点満点の着地にはならず、これからどうするの? とは、どういう人になるの? ということで、ただ生きて日々を積み重ねていくだけではないでしょう、何らかの意志をもって何かになるんでしょう? うるさいな。


子どもの頃って何かにつけて将来の夢を書かされた気がする。

何もなかったな、何も。将来こうなりたいって、ずっと適当にそれっぽいことを書いてた。憧れもなかったけど、現実的に考える頭もなかった。将来について想像することができなかった。

将来の夢があったとして、それが叶わなくても、少なくともその夢を追っていた時期はその後の自分を構成する重要なパーツになる、と、思う。わからないけど。だって無いんだもん。でももし重要なパーツになるのだとしたら、私には重要なパーツが欠落していることになる。


欠落感、っていう日本語はあるのかな。ググってみよ。あったわ。

欠落感とは、自分は人並でないという自意識のことです。欠落感の類義語には、喪失感、寂寥感、空虚感、寂しさなどがあります。

人並ではない、足りてない、何かが。まぁ、近い気がする。私の場合はなんだろう、経験かな。要は頭であれこれ考えるだけで何も、現実世界ではなーんにもしてない、頭でっかちってこと? 「でっかち」の語感はFUNNYだけどその突き付けた刃は下ろして欲しい。ちょっと刺さってるし。


「お前、これからどうするの?」に対しては、お前って言わないで、どうしよう、どうしたらいい? 頭の中の私だって、別に意地悪で私に聞いているわけではないんだ、わからないんだよね、もう二人で並んで、わからないね、えへへ、って笑えればまだいいけど、もう笑うこともできないね。

問いに対して明確な答えも無ければ、達観もできない。これに絶望する必要なんてないのに、実際今の私は絶望している。文章がまとまってないことが表している。焦りがある。本当は自由に出れる部屋に閉じ込められてる。どうしようかなって考えている間にも時間は過ぎていく。もしかしたらこのままの調子で生きていっても、どこかで、何かのきっかけで、見つかるかもしれない。そんな期待は、どんどん薄くなっていく。