2023/10/04

一気に気温が下がって涼しい朝、降っていた雨もすぐに止んだ。この夏、暑さに参って庭の草を放置していたので、重い腰を上げて庭の草をむしる。雨上がりと草むしりは土が柔らかくなって最高の組み合わせであり、そして無職と草むしりも無限に時間があることから最高の組み合わせなのです。いえい。

草をむしっていると両手が塞がるので、何かで気を散らすことができず、草をむしりながらぼんやりと考える。結局自分は何なのか。


ここ何ヶ月かで考えていた性自認については、書籍とかで学んで考えた結果、「どうでもいい」という結論に今のところは落ち着いた。この「どうでもいい」は考えることが面倒になったとか、そういうものではなく、自分が男女どちらのジェンダーなのか、もしくはその他の何かなのか、今自分がこういう表現をしたい、こういう人でありたいと思うその総体に対して、そもそも何かにカテゴライズ、何かをラベリングする必要ってあるんだろうか。そうしたところで何か変わるのか? 何のために自分をどこかに入れるの? という疑問がずっとあり、じゃあ今何か決める必要なんてないねと思った結果の「どうでもいい」です。ドクダミはこんなに千切れやすいのになんでこんなに繁殖するのか。
もちろん自分をこのカテゴリーだと認識して、それを表明することで生きやすくなる人もいるし、それを否定するつもりもない。ないというか、恐らくその方が自然なんだと思う。私が「どうでもいい」に今辿り着いているのは極端に人と関わることが少ない状況だからで、多くの人と関わる状況であればまた違う結果が出るのかもしれない。それはわからない。名前のわからないシダ植物を抜く。


草むしりを終える。軍手を通り抜けて手に付いた草の匂いを洗い流しながらまだ考える。まだ「男女」の区分けを明確に認識していなかった頃と、成長と共に明確になっていった過程。紐づいているいろんなことを芋づる式に思い出していく。

小学校高学年の頃にはクラス内のグループなんてきっかり男女に分かれていた。それでも私は姉の影響で少女漫画を読んでいたこともあり、共通の話題で女子と話すことがあった。その中に一人、おすすめの漫画を貸してくれたり描いてる絵を見せてくれたりする子がいて、私はその子に好意を抱いていたけれど、その好意が何というものなのか、どう扱っていいものかわからずにいたし、その頃はまだ私も周囲も幼くて、不必要に男女が仲良くするということが冷やかしの対象になっていたから、何となく距離を近づけられないままだった。でも今だったらわかる。私がその子に抱いていた好意は、純粋に友達になりたい、だった。同じ目線で、少女漫画のキャラクターについて話したりしたかった。それは叶わなかった。

中学生の時に、Tommy february6がデビューした。それはもう、本当に、圧倒的に可愛かった。誰かになりたいと思ったのは初めてだった。厳密に言うと小学校二年生の時に地獄先生ぬ~べ~に憧れて自分で黒い手袋を作って左手にしていたのが初めてだったかもしれないんだけど、それは一旦置いておくとして。恥ずかしいし。普通に小学校にしていってたし。鬼が封印されてもいないのに。
Tommy february6にはなりたい自分が全て詰まっていると思っていた。声も姿も振る舞いも、その表現全てに憧れて、憧れただけだった。だって、なれないじゃん。頑張ればなれるかもなんて、思えるような、知識も希望もなかったし。でもその頃から今まで、現実世界にいる人で憧れたのはTommy february6だけだし、憧れ続けてるよ、たぶん死ぬまでずっと。


草のなくなった庭、庭と書いているけれど庭というか通路、東京の狭小住宅に庭などない、そこにしゃがんでたばこを吸いながらぼんやりと考える。
「どうでもいい」という結論に「今のところは」落ち着いた。今のところは。書籍を色々読んで良かったなと思うのは、ジェンダーは揺らぎ続けるものと知ることができたことだった。これまでのことを思い出しても、私には女性になりたかった時期はきっとあるし、それでも今は女性ではなく、もっと別の何者かわからない存在になりたいと思っている。ノンバイナリーですら性自認の一つのカテゴリになるのなら、私はuncategorizedになりたい。この話にハッピーエンドはない。この先もきっとない。たぶん。分類されないまま生きていくにはどうしたらいいか悩み続けて死ぬ。三千年後に。