いつにも増して分かりづらい文章だと思う。
生きづらそう、とはよく妻に言われる言葉。私自身は別に生きづらいと感じていない、感じていないというより、よくわからない。みんなこんなものじゃない? というのが正直なところだけれど、みんながどのくらい生きづらさを感じているか、世間の普通も実際にはわからないから、比べられるものでもないのかもしれない。
ただもしかしたら生きづらいってこういうことなんじゃないか? と思える、私の特性が2つある。「理想的な振る舞いができない」ということと、「属性はグラデーションだと考えている」ということ。
属性がグラデーション、というのはここ最近ジェンダー自認について諸々勉強している中で出会った「ジェンダーとは男女のきれいな二分割ではなく、グラデーションである」という考え方から来ていて、前から抱えていたジェンダーに限らない違和感にぴったりの考えだなと思った。前の日記(このブログのことを”ブログ”と書くのが恥ずかしかった。日記としておこう)にも書いたけど、「私はこういう人です」と言うのが苦手というのは、私が属性に対してこういう考え方をしているからだと思う。
わかりやすい例は、よくネット上で行われる「きのこ/たけのこ論争」であり、知らない人(いるのか?)に簡単に説明すると、「きのこの山」、「たけのこの里」というチョコレート菓子のどちらが好きかで2つのグループに分かれ論争をするネット上の文化、及びそれに乗っかった企業プロモーションである。この論争にはきのこ派とたけのこ派の2つのグループしか存在しない。でも普通に考えたら「どっちでもいい」、「どっちも好き」という中間的な好みも存在するはずだし、私は「たけのこの里が好きだけどきのこの山も美味しいよね」と思ってる。
ジェンダーも基本的には同じような考え方、ただじゃあ自分がそのグラデーションの中のどこに位置するのかはもっと色々な要素が絡み合って決まっていくのでそんな単純な話ではないのだけれど、要は男女きれいに2つに分かれるものではないよという考え方で、この考え方は今の私の自認にはすごくしっくり来ている、男女の中間のどこかにいるんだろうと、少し落ち着くことができる。
それ以外でもポジティブ/ネガティブなどの性格的なものは大抵そうだし、例えば出身地だって、生まれてから今までずっとその場所で暮らしている人もいれば、出身はその場所だけど幼い頃に引っ越して他の場所で暮らしている時間の方が圧倒的に長い人もいて、出身地はどこですか? という問いにその場所を自分のルーツとどれだけ思えるかはやっぱり人によって変わるのだろうと思う。
理想的な振る舞いというのは、上に書いたグラデーションの考えを無視して、2つのグループのどちらかとして他者から期待されるもの。例に書いた「きのこ/たけのこ論争」だと、「たけのこの里が好きだけどきのこの山も美味しいよね」と考えている私は恐らく、たけのこ派としての振る舞いを期待されるのだろう。そこではその他のたけのこ派と同じような熱量でたけのこの里を応援し、場合によってはきのこの山を貶めるようなことも期待されるかもしれない。私の「きのこの山も美味しいよね」という考えには消えてもらわないといけない。男性の振る舞いを期待されれれば、私の中の女性には消えてもらわないといけない。ネガティブの振る舞いを期待されれば、私の中のかろうじて残っているポジティブには消えてもらわないといけない。そういったことに私は非常にストレスを感じるし、悲しくなるし、そしてたぶん、その期待される振る舞いが上手くできていない。生きづらいって、こういうことなのかもしれない。
仕方ないのかもしれない。多くの人と関わっていく中で、その人がどのような人なのか、プロフィール帳(今もある?)の各項目を埋めていくような整理をしていかないといけないものなのかもしれない。プロフィール帳の項目欄には、そんなに長い文章は書けないのだ。それにそのことが、誠実じゃないとも言い切れない。少なくともその人について大枠でも知ろうと、理解しようとしている行為ではあると思う。誰に対しても深く細かく知ることは難しいことではある。それでもやっぱり、私はもう、分類されることに対して強い抵抗がある。だから、もし私をあなたのプロフィール帳に載せてくれるなら、そのページには一言、「よくわからない人」とだけ書いておいてほしい。それ以外は空欄でお願いします。
例に書かせてもらったけど、こんな考え方をしているので、「きのこ/たけのこ論争」の文化、及びそれに乗っかった企業プロモーションが私は大嫌いです。これはプロフィール帳に書いておいてもいいです。