直近

2週間、で、退職しました。
10年前にも入った会社を適応障害で3か月で休職してそのまま退職したことがあり、今回も同じことで、もう本当に、環境に適応するということ自体が不得意なんだと思う。お祭りの金魚より弱い。地下鉄の駅番号が1駅ごとに減っていくの見て泣いてるっていうもうどうしようもない。デスゲームの参加者みたいなメンタル。
なので現在の肩書きが無職です。無職。職が無いと書いて無職。シンプルな言葉。日本語の美しさ。職の無さ。


無職だってビリヤニ食べたいという気持ちがあります。ビリヤニ。セブンのやつ。別に食べればいいんですけどね、ビリヤニを買うお金くらいはあります!
ビリヤニ食べたことなくて。ずっと気になってて食べるチャンスを伺ってたんだけどなかなかチャンスが無くて食べないままたぶんこれ2年くらい経ってる。
そうすると初めて食べるビリヤニがセブンでいいのかなっていう気持ちが少しだけあって、でもなんか美味しいらしいんだよ。ノーカンにしようかな。セブンのビリヤニをビリヤニと認めなければノーカンにできる気がするんだけどそれをセブンのビリヤニが知ったらどう思うだろうね。


Twitter。Xですけど。Xって言ったところで通じないし。この時代にアルファベット1字の名前付ける勇気はすごい。
ブログの連携もできなくなっちゃって、それでも更新したときは手動でpostしてたけど、それもしなくなった。
もうTwitterは終わり、とは思わない。でも私がTwitterと思っていたTwitterはもう終わっていて、名前が変わった通り別のものに生まれ変わる、生まれ変わったんだと思う。
Twitter、トレンド機能が分水嶺だった気はするな。結果的にYahooのコメント欄と同じ状態になっちゃったんじゃないかな。広告収益モデルで利益を上げる方向性としては正解の選択肢なんだけど。やっぱりちゃんと自分でお金払わないといけないんだと思う。それでもこれを避けられるかはわからないけど。後継サービスも最初から有料課金モデル出てきてないし、いずれ同じ道を辿るんじゃないかなって思ってます。当座はMastodonにいます。


最近のテーマが男性性の否定で。自分の中の男性性の否定と、他者から強要される男性性の拒否。これはちゃんとどこかのタイミングで文章にして、ちゃんと公開した方がいいと思っていて、なんというか、覚悟みたいなものなんだけど、そもそもその前にネットに真面目な文章を書いて公開すること自体に後ろめたさというか、心のどこかで「書いてどうすんの?」って思ってる。誰も喜ばない。需要がない。
誰かのために、需要があるから書くわけではないんだけど、ネット始めたのがテキストサイトからだったからか、できるかぎり面白く書かないといけないっていう思い込みがある。大事なことだとは思うんだけど、それに縛られてる。
長年ネットで何かしかを書いて反応をもらって、ということを細々とやっている中で、真面目な、そういうネタじゃないちゃんとした想いの文章に対しても誰かはきっと見ていてくれるっていうのは経験としてちゃんとあるし、でもそれでも後ろめたさは消えない。
これたぶん、そもそもネット以前に自分の考えていることをアウトプットすること自体に忌避感がある。向き合ったほうがいいのかなー、そろそろ。人生まだ長いっぽいし。三千年くらい生きたいんですよね。生きるのはトータル楽しいので。