海苔弁が下手になる

海苔弁が好き。
家で作ったものではなく、店で買う海苔弁が特に好きで、自分でお弁当を買うときにはほぼ確実に海苔弁を選んでしまう。

始めて店の海苔弁を食べたのは19歳の頃だったと思う。それまでは牛カルビ丼を食べていた。ひたすらに。牛カルビ丼に和風ツナマヨおにぎりを付けたりもしていた。若さが、そうさせた。
牛カルビ丼に比べれば海苔弁は揚げ物は入っているもののパンチは弱く、自分の中では幕の内弁当と並んで年齢層が上のお弁当という認識だったが、白身魚フライ、ちくわ天、唐揚げという攻撃陣をおかか醤油が仕込まれたご飯が盤石に支えており、卵焼きやきんぴら、漬物が脇をしっかりと固めていて、なんというか、隙がない。バランス重視ではあるが若干攻撃寄りというその布陣に魅せられ、以降は海苔弁を食べていた。海苔弁に和風ツナマヨおにぎりを付けたりしていた。和風ツナマヨおにぎりも好き。

今のようにほぼ確実に海苔弁を食べるようになったのは、オリジンの海苔弁を食べてから。東京に出てきて初めて食べたのだが、まず食べる前の時点で衝撃だった。手に持ったその弁当は、温かかった。
当たり前である。店内調理の一番の売りであるが、それまでの人生においてオリジンやほっともっとなどの店内調理の店舗が身近になかったため温かいお弁当が出てくるという認識がなく、始めてオリジンの海苔弁を手に持った時には、始めて子猫を抱いた人のような状態になっていた。母性が芽生えそうだった。

以降、私と海苔弁は蜜月を過ごす。

楽しい時も辛い時も、私の傍には海苔弁がいた。コンビニに入り弁当コーナーの前に立ち、海苔弁を手に取る。自席に戻り温めないまま封を破り蓋を開ける。海苔弁と向き合い、箸を進める。ご飯、ちくわの磯辺揚げ、ご飯、漬物、白身魚フライ、ご飯。完璧なエンディングを迎えられるよう、ペース配分に気を配り平らげていく。これを繰り返した。いつしか一連の動作に無駄はなくなり、コンビニで海苔弁を手に取るまでの流れは、清流のせせらぎのようにあるべきものがあるべきところへ戻る、ただそれだけのように思えた。海苔弁のペース配分はほぼ詰将棋の域というか実際に詰海苔弁をしていた時期があった。頭の中で。たまに「唐揚げ一個増量!」などのキャンペーンを(頭の中で勝手に)開催し、問題にバリエーションを持たせたりもしていた。

そんな蜜月は終わりを迎える。

あの、ダイエット、ダイエット始めたから。
海苔弁、糖質と脂質の塊である。ダイエットに良かろうはずもなく、私は海苔弁と距離を置き、サラダチキンとかを食べた。
一定の効果はあり、体重が減少した今、海苔弁を時々食べている。ただそこに以前の私の姿はない。コンビニで海苔弁を手に取る私には一瞬のためらいがあるし、海苔弁を食べるペースは明らかに中盤が乱れて、なんとか終盤に帳尻を合わせている。

スポーツの世界では1日休めば取り戻すには3日かかると昔言われていた。私は離れすぎてしまった。取り戻すのに何年かかるだろう。あと何年、海苔弁と向き合えば戻れるだろうか。

あの日の自分に、追いつけるだろうか。

あと、こういう考えどっかでやめたほうがいいんでしょうか。なんか、精神衛生上良くない気がする。詰海苔弁ってまともな人間がやることじゃない気がする。