不要な熱量

業界に入って13年以上、35歳になるとそれなりのものを求められる。具体的に言うと社内、社外に対しなんかこういうテーマで話してくれと担ぎ出されることが増える。増えた。困ったものである。

性格的に語らなければいけないことがあれば不特定多数に対し喋ること自体は苦手ではない。代わりにテーマなしで少人数で喋ることが苦手である。そういうシャイさもこの世にはある。

困るのは「語らなければいけないこと」を考えることであり、往々にしてテーマに沿って「◯◯とはこういうものである」、「〇〇はこうすべきだ」というものを考えなくてはいけないのだが、なーんもない。仕事で語りたいこと、なーんもない。抜けるような青空!

仕事、やらずに済む方法を探し、手をかけずに済む方法を探し、残った時間は新しいおにぎりの具を考えている。毎日がそんな感じなので幸せに生きている。語りたいことがあるはずもない。おにぎりの具をテーマにしてくれれば喜んで語る。揚げ物はソースかめんつゆに漬ければ全ておにぎりの具である。しかしおにぎりの具がテーマになることはこれまでもこれからも無いので、毎回唸りながら考えている。

全く門外漢のテーマが来ることは無いものの、補強のために関連する情報を調べ、たまに本を読んだり社内の関係する資料を見て考えていくが、不思議なものでそうしているうちに、「〇〇とは本来こういう意図なのでは」、「こう捉え、こう向き合っていくべきなのでは」というものが沸き上がり、キーボードを叩くスピードが上がり、最終的に、なんか、パワーポイントのページがいっぱい、できます…できました…どうしましょう…

なぜこうなってしまうのか。毎回である。一度デバッグについてステップと気をつけるポイントをまとめてほしいというお題に対し盛り上がってしまい、心構えと取り組む姿勢の方が分量の多い資料を作り上げ、同僚から「ここのポエム消していいですか?」という確認が入ったことがある。消していいです。お手を煩わせて本当にすいません。

きっと語りたいことが何も無いわけではないのだ。自分の心の奥に砂の粒のような小さな小さな思いが転がり始めて雪だるま式に膨らんでこうなっているのだろう。だからおにぎりの具をテーマにした時は手が付けられない。まずおにぎりに向き合う心構えと姿勢からである。そんなものはない。